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福島県(桃県)

白河は古来、東北の玄関口とされ関所が置かれ城が築かれました。そういうと何か険しい峠でもあるのかと想像してしまいますが、旧道を通って白河の関の跡を訪ねるとなだらかな明るい道で少し拍子抜けをします。

 

会津若松は、古くから越後や出羽にも睨みが利く要地でしたが、蒲生氏郷によって東北第一の城下町となりました。氏郷は近江蒲生郡の土豪出身で、信長と秀吉に重用され、天下統一後の東北の押さえとして送り込まれて、黒川という旧名を故郷の地名を取って若松という名に改めました。地域経営にすぐれた名君で、近江から商人などを呼び商工業の繁栄の基を築いたのです。江戸時代の若松藩は、二代将軍秀忠の庶子で信州の保科家の養子となった正之を祖とします。

 

福島県の会津地方で最近では若松以上の知名度を誇るのが喜多方です。土蔵の町というイメージに素朴な味で太めの縮れたのラーメンを乗せて大成功しました。たまたま評判のラーメン屋があるというだけのことを起爆剤にして町おこしに成功しましたが、名物をつくるのは伝統でも特産品でもなく知恵だという見本ではないでしょうか。

 

県北の会津磐梯山は1888年に大爆発を起こして檜ひ原ばら湖などの景観を作りました。成熟した自然とは違った荒々しい景観が魅力で、とくに紅葉の季節はすばらしいと観光客にも人気です。

 

県南の小さな城下町である三春は郷土玩具である「三春駒」と、樹齢千年のしだれ桜「三春滝桜」で知られています。ここの殿様である秋田氏は、7世紀に阿あ部べの比ひ羅ら夫ふに下った蝦夷の族長恩おん荷が、前9年の役で源頼義に滅ぼされた安あ倍べの貞さだ任とう、鎌倉時代に蝦夷制御の任に当たった安東氏を先祖に持ちます。

 

東北のほかの殿様が源頼朝の奥州攻めや豊臣秀吉の奥州仕置の結果としてやってきた征服者の系譜を引くのに対して、唯一の東北土着の大名です。ところが、戊辰戦争にあって三春藩はのちに自由民権運動で活躍する河野広中の指導で官軍につき、会津攻めの引導役をつとめました。この複雑さが歴史の面白さではないでしょうか。

 

福島県人のイメージというと少し頑固で正義感で人情に厚いというところで、政治家でいうと外務大臣などをつとめた伊東正義氏などが典型ですが、それはどちらかというと会津人の代表というべきかも知れません。中通りや浜通りの人は東北でも最南端にあるためか明るく開放的な人が多く、代表選手はプロ野球選手の中畑清氏と俳優の西田敏行氏です。

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